キレイな死体
「おーい誰か手ぇ 貸してくれ…」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p37)
「第27回(20年3月)」中巻p128)で「ありゃ まだ 片付けんの かね」と放置された死体とは対照的に、人々が急いで片付けようとしている。
それは、「第28回(20年4月)」中巻p135)でリンが言ったような「キレイな死体」だからではなく、その正反対の
「丁寧に泥を払われ 拾い集められていった」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p41)
状態(泥に塗れ、飛び散ってしまっていた…)だから。
「病院も重傷者で 満員になってすぐ 追い出されたわい」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p38)
追い出されたのは円太郎。
「ここらでも爆音で 内臓がひっくり返りそうなかったわ」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p38)
「〜なかったわ」は「〜だったわ」の広島弁。
「内臓が」という現実の声から
- 内臓が飛び散った晴美を思い出し
- そこから次のコマでその晴美のような割れた赤い「すいか」を連想し
- すいかで思い出される、リンに描いてあげた絵を
次々に思い出している。
また「ひっくり返りそう」という現実の声から
- 実際(は右手に晴美 / 左手に風呂敷 だった)を
- 左下のコマのように「右手に 風呂敷 / 左手に 晴美さん」とひっくり返すことを
想像している。
あいす くりいむも はっか糖もしらぬまま
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p39)
リンの仕草はあいすくりいむの説明をしている時のもの。
左上から2番目のコマに、白い布に包まれた桐箱と線香の煙
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p41)
晴美が亡くなったことが示唆されている。
「丁寧に泥を払われ 拾い集められていった その人には 永遠に 届かない」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p41)
絵では一切描かれていないが
- 時限爆弾によって晴美の身体がバラバラに飛び散ったことと
- それをすずが目にしていること
が強く示唆されている。
どこで 間違ったのか
「側溝でも あれば 良かったのに」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p38)
繋がっているように描かれている右隣のコマはペンで描かれているのに対し、このコマは鉛筆描きなので、すずの希望的イメージ。なので実際にはなかった側溝が描かれている。
「ほりゃまた ちがう ちがう」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p38)
p37)下段中央のコマの笹柄は、時限爆弾の火花から、着ている着物の笹柄を連想したのだろうか。
連想はその着物を仕立てた時のイトおばあちゃんとの会話に及び、裁縫の手順を間違えたというところから一連の「間違ったのか」連想に続くのだが、ここですずが、母のキセノではなくイトから裁縫を教わっているのは、初夜の指南(傘問答)をしたのも何故かイトである(で、それには理由がある)ということに気づいて貰おう、という仕掛け。
「すいか わらび餅 はっか糖 そうか」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p38)
あいすくりいむは間違えた絵。「そうか」に置き換わっているのは、(絵を間違えたように今回も)自分が間違えたのだ、と思い至ったということ。
「どこで 間違ったのか」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p40)
という独白とともに思い出しているのは、水原哲と納屋で過ごした時の膝枕と土産の羽根。テルと会っていた(心中未遂した)水兵が水原哲だと気づいての連想。
「第22回(19年12月)」中巻p90)「…………難しいわ / 口に出すんも 顔に 出すんも」で出せなかった想いを水原哲に伝えることができれば、違っていたかもしれない。すず自身も、あの時伝えられなかったことが、人生の分岐点だったように認識していたのかもしれない。
「やめえ 径子」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p41)
唯一の円太郎が径子を叱る言葉。円太郎も「晴美を疎開さして貰え」と自分が提案しなければ…と悔いていることだろう。その心中たるや。
すずは大怪我しているにも関わらず、起き上がって径子の叫びを聞いている。
「あんたが助かった だけでも良かった 思うとるんよ わたしらは」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p42)
「そうかな?」とすずは問う。
- 責任を感じているだろうすずを、敢えて晴美の遺骨が収められた桐箱が置かれた仏壇のある客間に寝かせている。
そもそも何故男性の円太郎と女性のすずを並べて寝かせているのか。部屋は他にもあるのに。
円太郎が縁側に近い方、すずが仏壇に近い方なのは
- 「第42回 晴れそめの径(20年11月)」の「晴美も あがいなマネを したじゃろか ……………」で説明予定の理由から、(すずの怪我は右側がひどいのにも関わらず)すずの左側から看病する必要があるので、台所からすずの左側に近づき易いように。
- 晴美の遺骨が収められた桐箱が置かれた仏壇が、すずの視界にしっかり入るように(すずは見たくないだろうが)。
というのが理由だと思われ、北條家の皆の複雑な(相反する)気持ちが表されていると言えるが。
あるいは、すずを一人で寝かせていると、径子が誤った行動に出るのではないかと懸念した円太郎が、見張り役を買って出ている、ということだろうか。
- わざわざ付記することでもないが、円太郎はまだ起きられない状態(次回「第34回(20年7月)」で漸くp45)「おとうさんは じき起きられるようになりんさった」)なので、円太郎が誤った行動に出るのではないかとサンが心配することは無かっただろう。
似とりんさる
「ほんまに周作さんに 似とりんさる」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p39)
絵を描いてあげたリンと、下段右のコマですずの視界にいた径子から、「第31回(20年5月)」に訓練に出て以来1月以上会っていない周作を連想。
- (すずとすみが全く似ていないのには理由があるのだが、一方で周作と径子がよく似ているものだから、常々連想する癖があったのだろう)
さらに
- すず自身から見た周作との関係が
- テルから見た水兵( = 水原哲だとすずは思っている)との関係に
「似とりんさる」ものだから
- 小春橋での周作とのデートと
- さらにすずは直接見ていないテルと水兵の逢瀬が
ダブルイメージで重なる、次の頁の連想に繋がっている。
下段中央下のコマに、防空壕から出た後に水を貰った人の後姿
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p39)
家を壊されて立ち尽くしていた。居場所をなくしたというすずとの共通点( = 似とりんさる)。
シロツメクサが示すもの
一面のつめくさ(シロツメクサ)
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p43)
Appleが開発・販売するMacのオペレーティングシステムであるmacOS。その日本語フォントのサンプルテキスト
あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。
でお馴染み、宮沢賢治の『ポラーノの広場』は、彼が亡くなった翌年の1934(昭和9)年に発表されたが、話の中で「五月のしまいの日曜、二十七日」という記述があるので、丁度1934(昭和9)年のお話と考えることもできる。
- 1934(昭和9)年は、この物語『この世界の片隅に』の単行本の一番初めに収録されている「冬の記憶(9年1月)」の年である。
この『ポラーノの広場』では主人公達が「つめくさのあかり」を辿って伝説の「ポラーノの広場」を探すのであるが
- それは
- 5月27日の10日ばかり後で
- そのさらに5日後が火曜日(12日)だから
- 6月7日木曜日だと考えられる。
- その日、主人公キューストは「つめくさの花と月のあかりのなかに、うつくしい娘が立って」いるのを見る。
- そして、この1934(昭和9)年と1945(昭和20)年は曜日が一致する年で、かつ
- 1934(昭和9)年6月7日も1945(昭和20)年6月22日も六曜では大安だ。
- 晴美が亡くなったこの日6月22日は大安だったのだ。「何事においても吉」の筈の。
- 晴美が花冠を編むこの一面のシロツメクサは「ポラーノの広場」なのだろうか…
さらに
『あらいぐまラスカル』のオープニングテーマ『ロックリバーヘ』の歌詞は「シロツメクサ」で始まり「6月」が続く。この回「第33回(20年6月)」は6月。ただそれだけだと単なる偶然の一致で片付けられそうだが
- 『あらいぐまラスカル』の主人公で原作者の名前はSterling Northである。
- Northは「北」
- Sterlingは英貨なので日本語的には「円」
- これに
- 「第25回(20年2月)」で触れた西條八十の「條」
- 「第4回(19年2月)」で触れた岡本一平の息子 岡本太郎 の「太郎」を組み合わせると…
- 「北條円太郎」になる。
彼の妻で径子の母であるサンの名は、「第20回(19年11月)」で触れた由来に加え、上記のサンプルテキストの「サン」も由来の一つなのだろう。
そして
- 晴美の「晴」の旧字体は新字体の「月」の部分が「円」なので
- 晴美の名前には
- 日 = sun = サンと
- 円 = 円太郎の
- 名前が含まれていることになるし
- 残りの「龶」は「生」からきているものだが「圭」にも似ていて、そう考えると、圭 = ケイ ≒ 径(子)と捉えれば、サンと円太郎だけでなく径子の名前も…
- というか、その3人(径子、サン、円太郎)の名前が合わさったのが晴美の「晴」なのだろう。
- 「第32回(20年6月)」p34)「おばあさん / おじいさん」で、すずの右手が晴美の為に最期に描いたのがこの3人(径子、サン、円太郎)であることからも、晴美にとって大切なのがこの3人であることが窺える。
- その3人の名前が全て彼女の名前の「晴」には含まれているのだ。
- 残りの「龶」は「生」からきているものだが「圭」にも似ていて、そう考えると、圭 = ケイ ≒ 径(子)と捉えれば、サンと円太郎だけでなく径子の名前も…
- 晴美の名前には
また、「第10回(19年6月)」で触れた通り晴美は4月生まれだが、これは、晴美 ≒ ハル = 春だからかもしれない。5月だともう初夏であるし、3月は春というにはまだ寒さが残る季節なので。
- なお、晴美の「美」は
- 上記『ポラーノの広場』の、つめくさの花と月のあかりのなかに立つ「うつくしい娘」に因んでいるのだろうが
- 漢字の成り立ちとしては、神に供える羊が肥えて大きいところから「うまい」「うつくしい」という意味を表す
- のだそうである。
だからといって晴美が生贄になる道理はないのだけれど。
- 更新履歴
- 2022/03/20 – v1.0
- 2022/06/30 – v1.1(「ほりゃまた ちがう ちがう」を追記)
- 2023/03/13 – v1.1.1(「次へ進む」のリンクを追加)
- 2023/04/06 – v1.1.2(関係する投稿へのリンクを追加するとともに、読み易さを改善)
- 2023/06/22 – v1.2(「あんたが助かった だけでも良かった 思うとるんよ わたしらは」を追記)
- 2024/02/10 – v1.3(「シロツメクサが示すもの」を追記)
- 2024/06/14 – v1.3.1(「シロツメクサが示すもの」にカレンダーを追加)
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