テルという名前の由来が示すもの
童謡詩人 金子みすゞ
大正末期から昭和初期にかけて活動した童謡詩人金子みすゞ。
- 彼女の本名はテル。
- 金子みすゞの出身地仙崎は長門市(「第9回(19年5月)」のサンの回想レイヤーで、戦艦長門の進水式を祝う幼少期の径子が登場)の一部。
- 金子みすゞの創作活動の中心地下関は黒村家の疎開先。
- 金子みすゞの詩では
- 砂糖の回の蟻の行列やこの回の南の島の椰子の木は『行商隊』
- りんどう柄の茶碗は『茶碗とお箸』
- 飛行機雲を残すF-13(B29の偵察型)を見上げたりする事やビラをまくB29は『田舎の町と飛行機』
- 本作品ではないが『夕凪の街 桜の国』の冒頭句「広島のある日本のあるこの世界を愛するすべての人へ」は『蜂と神さま』
- がそれぞれ思い出される。
すず達の名前や住所の由来
テルの名前が金子みすゞに因んでいるだけではなく
- テルと(ある意味)裏表の関係にあるすずの名前もみすゞから「み」(実 = 子供。金子みすゞには娘が一人いる)を取り除いて名付けられたのかもしれない。
- そうだとすれば、すみの名前は取り除いた方の「み」に「す」をくっつけたのだろう。
また金子みすゞを最初に見出したとされるのは大正期を代表する童謡詩人である西條八十。
- 北條という苗字も西條八十に因んでいるのかも。
- 住所の八百八番も八十が抜けているし。
- (西條八十というのは本名で、苦しいことがないようにと九を抜いて八と十で八十(やそ)と名付けられたそう)
十分に認められなかった才能
金子みすゞは
- 才能を十分認められたと感じることなく(同年代の投稿仲間は詩集を出せているのに、彼女は出せていない。おそらくは女性だからという理由で)
- 夫の遊廓通い
- 詩人仲間との文通禁止
- 娘の親権問題
などに苦しめられ、若くして世を去っている。
- 絵の才能を十分に認められることなく途中で諦めさせられ(※「第15回(19年9月)」参照)
- 夫と遊廓の関係で悩み
- 出した葉書が帰ってこない(※鬼いちゃん宛てだけではない。「第6回(19年3月)」でも触れたが、後ほど「第40回(20年9月)」で詳しく説明予定)
というすずの状況と似通っている。
しかも、それだけではなかったのだ
夫の遊廓通いでは、それ自体だけでなく淋病でも、金子みすゞは苦しめられた。抗生物質が無い当時、特効薬は無く、彼女の病状は深刻だったようだ。
- 1927(昭和2)年に夫から感染し
- 1928(昭和3)年には投稿仲間の男性が訪ねてきたが臥せっていて会えず
- 1929(昭和4)年には入院
この淋(りん)病も、リンの名前の由来の一つなのだろう。
淋病に苦しめられた女性達
この物語、そしてすずとも大変関係の深い、金子みすゞのこの窮状を思うと、ある一つの可能性に思い至るだろう。
- 「第16回(19年9月)」p35)中段左で浮かない表情のすず。
- ヨメのギムという圧力があるとはいえ、単に妊娠が思い違いだったというだけで、すずがここまで落ち込むだろうか。
- そして一度会話をしただけのリンをわざわざ訪ねるだろうか。
- (すずが出てきた婦人科は北條家よりは下るが灰ケ峰の中腹にあり、二葉館のある朝日町は完全に下った平地部分にあるので、二葉館は婦人科から見れば北條家と全く反対側にある)
実は、すずが婦人科で告げられた、p38)「栄養不足と 環境の変化で 月のめぐりが 悪いだけなん と……」には(リンの台詞で遮られたが)続きがあるのだ。
すずは当時花柳病の一つに数えられていた、淋病への感染を告げられた事を話そうとしていた…
- つまり婦人科で告げられた淋(りん)病からリンの事を思い出し
- 訪ねる理由を作る為、急いで手持ちの紙の切れ端に「すいか / わらび餅 / はっか糖 / あいすくりいむ」を描いたのだ。
- 職業婦人として漫画も描いていた(「第15回(19年9月)」参照)すずであるから、本当は “あいすくりいむ” をしっかり調べてから描いてリンの所に持っていこうと思っていた筈…
- 勿論この時点ですずは、周作とリンの関係に思い至っていないから、感染ルートを遡ろうという意図ではない。
- 訪ねる理由を作る為、急いで手持ちの紙の切れ端に「すいか / わらび餅 / はっか糖 / あいすくりいむ」を描いたのだ。
けれどもリンとの会話が「ヨメのギム」に絞られてしまった為、肝心の淋病については話せずじまいに。
そしてその後の物語中に散りばめられた、些か違和感のある台詞の数々。実はそれらは、すずの淋病感染が前提なのだった…
- 「第17回(19年10月)」p48)「アホを 伝染されよる だけじゃろ!?」
- と径子は言ったが、実は逆で、周作からすずに伝染された…しかもアホではなく淋病を。
- そしてp49)「りんどうの柄のか」「そりゃわしのじゃ / すずさんにやる」
- …すずにやったのはりんどう柄の茶碗だけではなかった。
- 「第19回(19年11月)」p64)「……… ……… ねえ 周作さん」
- すずはリンの事だけではなく、淋(りん)病の事も周作に言い損ねた。
- 「第21回(19年12月)」p82)で周作が、すずを水原哲のもとに送り出した上に、玄関の鍵まで掛けているところを見ると、この19年12月の時点でも言い損ねたままのようだ。
- すずはリンの事だけではなく、淋(りん)病の事も周作に言い損ねた。
- 「第20回(19年11月)」p73)「とりかへしのつかぬ あやまちをおかして 仕舞ひました」
- 淋病に感染させられたのは、すずのあやまちではないが、抗生物質が無い当時、不妊や新生児失明の危険もある「とりかへしのつかぬ」ものだった。
- 「第22回(19年12月)」p86)左下のコマ「うちは今 あの人にハラが 立って仕方がない…………!」
- 周作は(本人に感染の自覚は無かったのかもしれないが)リンの事は黙ってすずを感染させたのだから、これはすずの正直な気持ちだろう。
- りんどう柄の茶碗が視界に入って改めて淋(りん)病感染を意識し
- 感染していなければ迷うことなく水原哲を受け入れる事が出来たが、感染させる危険があると判っていては出来る筈がない。
- そしてその理由を「口に 出すんも 顔に 出すんも」難しくて、水原哲に伝える事もできない。
- さらにp88)「そう思うてずうっと この世界で普通で…まともで居ってくれ」
- 感染を伝える事もできないすずに、残酷に突き刺さるこの「普通で…まともで居ってくれ」という言葉。
- 水原哲は事情を知らないとはいえ…
- さらにp88)「そう思うてずうっと この世界で普通で…まともで居ってくれ」
- 周作は(本人に感染の自覚は無かったのかもしれないが)リンの事は黙ってすずを感染させたのだから、これはすずの正直な気持ちだろう。
- 「第24回(20年2月)」p106)「…………うちに 子供が出来んけえ ええとでも 思うたんですか?」
- 感染が発覚してから半年近く。炎症が卵管にまで広がっているのかもしれない。
- 「第25回(20年2月)」
- りんどう柄の茶碗をリンに渡しても、淋(りん)病まですずのもとから無くなるわけではないが、そうでもしなければ気持ちが収まらなかったのだろう。
- そしてp111)「この頃は次々 船が戻って来て ここは大繁盛やけん」
- そんな二葉館で働かされて、テルもリンも、淋病をはじめとする性感染症から無縁でいられる筈がない。
- 「第28回(20年4月)」p134)「なんか…リンさんに 似合う気が したけえ」
- 淋(りん)病だからりんどう柄の茶碗が似合うというわけではないだろうが、茶碗が似合うというのも妙な言い方ではある。
- そしてp135)「人が死んだら記憶も 消えて無うなる / 秘密は 無かった ことになる」
- 死んだら記憶だけでなく淋病も消えて無うなる、というか、逆に言えば、特効薬である抗生物質が無いから、死ぬまで治らない、という事なのか。
誰がテルを
テルの左頬には堺川に飛び込んだ時にできたと思われるアザが
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p110)
「あげん小まい川で 死ねるわけが なかとよ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p111)
実際にはこれが原因でまもなくテルは亡くなる。
- 自分が死ぬとは思っていない、もしくは思われていない(にもかかわらず死ぬ)、という描写は、前の回「第24回(20年2月)」で葬儀のあったすずの兄の要一自身、すずの母のキセノ、すずの父の十郎にも共通している。
- 他方で同じく前回「第24回(20年2月)」で、すずが、死ぬかもしれないと考えた水原哲、周作は生き延びる。
ではすず自身はどうか?
「この頃は次々 船が戻って来て ここは大繁盛やけん」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p111)
「知らん人っちゃ 知らん人たい」の理由、つまり、多くの兵士を相手にしている中の一人でしかない、ということと、また商売とはいえ多くの兵士を相手にしなければならない厳しいテルの状況や、戦況(※北号作戦参加艦艇が1945(昭和20)年2月20日に呉に到着している)もさりげなく記している。
テルの寝ている部屋は窓の構造や外側に縁側のようなものがあるので本来、部屋の中から客を誘う張見世の筈だが、大繁盛で客を誘う必要もないのか。それで(具合が悪くて働けない)テルにあてがわれたのだろう。
「気の毒 やったと」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p111)
標準語では「気の毒だったの」
「まあ 好きっちゃ 好き 知らん人っちゃ 知らん人たい」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p111)
もちろんテルを巻き添えに心中を図った若い水兵のことであるが
- 同時に、すずからみた周作もそんな感じなのかもしれない。
- そして「なんや 切羽詰まって 気の毒 やったと」もまた、すずの周作に対する気持ちに含まれていたかもしれない。
図らずもテルはすずの(意識されていなかった)気持ちを言語化したのである。
- またこれは(接客中でたまたま出てこれなかった)リンからみた周作なのかもしれず。
- 少なくともすずはそう想像したであろう。
だから「第33回(20年6月)」の下巻p40〜41)ですずが時限爆弾で大怪我して意識が朦朧としていた時に、堺川にかかる小春橋の上の
- すずと周作
- テルと水兵
のイメージがすずの中で重なったのである。
さらに聡いすずは考えを進めてしまい、竹槍を鉛筆代わりに何かを描こうと…
右上のコマで竹槍を掴み何かを描こうとしている
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p112)
「暖い(ぬくい)外地へ 渡れば良かった」というテルの発言は2コマ先である。
- すずは最初に何を描こうとしたのか?
- 「切羽詰まって」いた若い水兵さんか?
- すずが描けるということは、それはもしかしてすずがよく知る「若い水兵」?
苦い思い…何が「かなわん」のか
「すず お前 べっぴんに なったで」「あんたは 笑うてくれたが うちは 未だに苦いよ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p113)
すずは「未だに」苦い思いをしている。
すずの初恋は、「波のうさぎ(13年2月)」で触れたように、完全なすれ違い会話に終始していた。初恋そのものも、その相手である水原哲(あるいは男という生き物)も、すずにとってはすれ違いばかりの「理解できない他者」であった。ある意味「知らん人」よりもずっと。
それが、「第22回(19年12月)」では、「息の合う二人」で触れたように、「波のうさぎ」の頃とは違い表面上は息が合っているように見えた。
「理解できない他者」はいつか理解できるようになるのだろうか。
しかし、水原哲は「普通で…まともで居ってくれ」と伝える事は出来たものの、勿論それを言う為にすずを訪ねてきたわけではない。すずは自分の想いを伝えられない。表面上は息が合っているように見えても、互いに伝えたいことも伝えられない「理解できない他者」のまま。
- そうした苦い状況も、「第22回(19年12月)」で触れたような、自分自身の個別の「一貫性」で整理できれば、あるいは満足ではないにしても一定の折り合いをつけて、生きていけたかもしれない。しかし水原哲は、折り合いをつけられなかった。「あんたは 笑うてくれたが うちは 未だに苦いよ」と言うすずも。
それが引き金になっての「心中未遂」だったのだ。
- それに気づいたすずは、それをテルに確認するべく、すずがよく知る「若い水兵」を雪の上に最初に描こうとした…
- テルが喜びそうな南の島を描くことを(自分が知りたいことよりも)優先したので結局描かなかったが。
- まるで「第16回(19年9月)」で、リンとの会話をリンのペースで進める事を優先した為に、肝心の淋病については話せずじまいだったように。
- 何故「第16回(19年9月)」ですずがリンの会話のペースを優先したのかというと、「第14回(19年8月) 」で「すいかを描いて」というリンの願いを危うく聞きそびれそうになったことを踏まえて。
- すずは(自身の深刻な問題よりも)リンに気遣いをしたのだ。
「うちは何ひとつ リンさんにかなわん 気がするよ………」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p114)
すずは自分がリンの代用品の代用品だと既に認識している。代用炭団が木炭に直接「かなわん」のは当然のこと。それだけでなく、
- リンを諦める代わりに周作には(代用品の代用品とはいえ)自分(すず)があてがわれた。
- つまりリンは(諦めれば代用品があてがわれるくらいの位置づけが認められたという意味で)それなりの扱いを受けたとも考えられる。
- しかし水原哲がすずを諦めたところで、彼に代わりになる誰かがあてがわれることはない。
- すずはそういう扱いをしてもらえる存在ではない。
- そういう「扱い」の差という意味でも「かなわん」気がしたのだろう。
またこの「かなわん」は、すずの想いが「かなわん」(叶わん)という意味にも読める。
りんどう柄の茶碗
「リンさんに よう似合うて じゃけえ あげます」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p110)
「第24回(20年2月)」ですずは
- p105)「うちは 心残りの ないように暮らし とるじゃろうか」と言い、
- p106)「ほんまは あん人と結婚 したかった くせに」と周作に言われている。
そんなすずは、再び水原哲が訪ねて来てくれた時の「選択」に備えて、りんどう柄の茶碗を北條家から追い出す為、リンに渡すことにした。
- その「選択」は勿論、「第22回(19年12月)」の時とは異なるもの。
- この時点ではだから、すずは「水原哲の訪問意図」に気づいていない。
しかし、上記の通り
- りんどう柄の茶碗を渡した後
- テルとの遣り取りを通じて
すずは「水原哲の訪問意図」に気づいてしまった。
「第28回(20年4月)」ですずは、p134)「夫が昔買うた お茶碗なん あれ……. / なんか…リンさんに 似合う気が したけえ」と、テルに渡した時(=「水原哲の訪問意図」に気づく前)と同じ説明をしている。
もう渡してしまったものだから、その時と同じ説明をするしかないのだが、わざわざ「夫が昔買うた」と付け加えているところをみると、それを聞いてリンが「それでは受け取れない。返す。」とでも言ってくれることを期待したのだろうか。
「おねえさん…」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p109)
テルには「北條すず」とすずが名乗ったところは聞こえなかったようだ。
- もし聞こえていたら
- 「第28回(20年4月)」で触れる予定の、リンが言うところの「秘密」の一つ(それは「水原哲の訪問意図」とかかわりが深いのだが)は秘密ではなくなっていた。
- 何故なら、テルはすずがよく知る「若い水兵」から「すず」という名前を既に聞いていたからだ(詳細は「第28回(20年4月)」にて)。
「今日だけは すずさんが まぶしく 見える…」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p114)
結果的に迷走するすずではあるが、径子の視点で見れば、そんな「言いなり」ではないすずは「まぶしく見え」たことだろう。
- 「第11回(19年7月)」で触れたように、晴美が文句一つ言わず自分の為に「言いなりに」なってくれている事に後ろめたさを感じているだけに、なおのこと。
- 更新履歴
- 2022/03/10 – v1.0
- 2022/08/25 – v1.1(「すず お前 べっぴんに なったで」「あんたは 笑うてくれたが うちは 未だに苦いよ」を全面改訂)
- 2022/11/04 – v1.1.1(「いろいろ厳しい事情が(でも闇市は健在)」を削除し、「第6回(19年3月)」「第9回(19年5月)」「第33回(20年6月)」「第40回(20年9月)」へのリンクを追加)
- 2023/02/10 – v1.1.2(「十分に認められなかった才能」の記載を「第15回(19年9月)」の記載に沿って修正すると共に、リンクを追加。その他全体的に読み易さを改善。)
- 2023/03/13 – v1.1.3(「次へ進む」のリンクを追加)
- 2023/04/14 – v1.2(「りんどう柄の茶碗」を追記)
- 2023/04/17 – v1.2.1(「りんどう柄の茶碗」の読み易さを改善)
- 2023/08/02 – v1.2.2(誤字修正)
- 2023/10/20 – v1.3(「しかも、それだけではなかったのだ」「淋病に苦しめられた女性達」を追記)
- 2023/11/02 – v1.3.1(「淋病に苦しめられた女性達」に「第21回(19年12月)」との関連を追記)
- 2023/11/24 – v1.4(「第16回(19年9月)」ですずが(自身の深刻な問題よりも)リンに気遣いをした旨を追記)
- 2023/12/15 – v1.5(「淋病に苦しめられた女性達」に「そう思うてずうっと この世界で普通で…まともで居ってくれ」を追記)
- 2024/07/31 – v1.5.1(「今日だけは すずさんが まぶしく 見える…」に「第11回(19年7月)」で触れた径子の「後ろめたさ」を追記)
- 2024/10/09 – v1.6(「おねえさん…」を追記)
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